ショーン・マイケル・エリオット(Sean Michael Elliott、1968年2月2日-)は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。アリゾナ州ツーソン出身。NBAのサンアントニオ・スパーズに在籍した。
経歴
1988年にスティーブ・カーと共に、アリゾナ大学を初のファイナル・フォーに導いた後、1989年のドラフトで一巡目にサンアントニオ・スパーズに選択される。 デトロイト・ピストンズの一員であった1993年-1994年のシーズンを除き、エリオットはその選手生命の全てをスパーズですごした。2001年に引退している。1999年にスパーズの一員として優勝を経験した後に、腎臓の病気にかかっていることを公表し、腎臓移植を受けた。1999年8月と2000年3月13日に手術を受け、手術は成功に終わった。チームに復帰し、NBA史上初めて、腎臓移植後に復帰した選手になった。
通算成績は、1試合当たり14.2得点、4.3リバウンド、2.6アシストであった。1992年12月18日の対ダラス・マーベリックス戦で、1試合41得点の個人記録を出している。2004年現在、エリオットはABCスポーツとESPNのバスケットボール解説者である。
個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
その他
- スパーズ時代の背番号32番は、アリゾナ大学とスパーズで永久欠番になった。
- 日系人の妻がおり、シーズンオフに妻のルーツである四国を訪れるなど、日本のファンにも馴染み深い存在だった。
- デトロイト・ピストンズ在籍時の1993-94シーズン途中に、当時ヒューストン・ロケッツに所属していたロバート・オーリー、マット・バラードとのトレードが内定していた。ところが、メディカルチェックの際にエリオットの体調に不備が発見された為に、このトレード話は破談に終わった。その後エリオットはスパーズに復帰し、1999年に念願の初優勝。一方のオーリーは、ルディ・トムヤノビッチとの確執を抱えながらもロケッツの2連覇に貢献。その後ロサンゼルス・レイカーズでも3連覇を達成。更にはスパーズでも2度の優勝を経験し、『優勝請負人』として名を馳せた。
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、ESPN、Eurobasket、RealGM




