杉渓家(すぎたにけ)は、藤原北家四条流山科家支流にあたる華族の男爵家。いわゆる「奈良華族」の一つ。
歴史
山科言縄の三男杉渓言長は幼時に奈良興福寺に入れられて妙徳院住職となったが、明治元年に勅命により復飾し、明治2年(1869年)に堂上格を与えられて一家を起こし杉渓を家号とした。明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に言長が男爵に叙された。貴族院の男爵議員に5回当選して務めた。
その息子の由言も貴族院の男爵議員を務めた他、実業家としても活躍。彼の代に杉渓男爵家の邸宅は東京市麻布区新龍土町にあった。
脚注
出典
参考文献
- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 杉渓 スギタニ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、3038頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123864/386 国立国会図書館デジタルコレクション。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。

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