襄王(じょうおう)は、中国の戦国時代の斉の君主。姓は、氏は、諱は法章。湣王の子。

生涯

湣王40年(紀元前284年)、湣王が淖歯に殺害されると、法章は姓名を変えて莒県の太史敫の家の雇い人になった。太史敫の娘(君王后)は法章の顔を見て、普通の人ではないと思い、衣食の世話をして、男女の仲となった。淖歯が莒県を去ると、莒県の人と斉の亡臣たちは湣王の子を探し求め、法章を立てようとした。法章は殺されるのを恐れて躊躇していたが、意を決して「わたしは湣王の子である」と名乗り出た。このため莒県の人は法章を斉の王に擁立した。これが襄王であった。

襄王5年(紀元前279年)、田単が即墨で燕を撃破し、襄王を臨淄に迎え入れ、斉の旧領をすべて回復した。

襄王14年(紀元前270年)、秦に剛寿を攻撃された。

襄王19年(紀元前265年)、死去した。在位19年。

参考文献

  • 『史記』田敬仲完世家

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